こんにちは!
日本を巡る和紙写真家の大塚麻弓子です。
「もう、何をやってもうまくいかない気がする…」
理想と現実のギャップに押しつぶされそうで自分が何のために生きているかよくわからない。まるで、世界から取り残されたような孤独を感じる。
実は私もそんなことが度々あります。
3月末に南伊豆を旅した時に訪れた下田の上原美術館。そこで出会った仏像たちの、静かで力強い存在感に、心の奥底が揺さぶられるような感覚を覚えました。
あまりにも壮観で今まで全く興味がなかった仏教、ほんの少しだけ興味が湧き始めた瞬間でした。
人生がうまくいかないなぁと悩み、仏教に少しだけ興味が出てきた私にパートナーが一つの動画を教えてくれました。
動画の中で語られる先生の言葉は、まるで暗闇の中に射す一筋の光のように、私の心にじんわりと染み込んできました。特に、私が強く惹かれたのは「自由」という概念についてです。
捉われていた「自由」という名の鎖
それまでの私は、「自由」とは、誰にも縛られず、好きな場所へ行き、好きなことをすることだと考えていました。家を持たない旅を選んだのも、そんな自由への憧れがあったからです。
しかし、現実はどうだったでしょうか?写真販売がうまくいかないことへの焦り、常に移動し続けることの疲労、そして、うまくいかない状況への苛立ちが、私自身をがんじがらめにしていたのです。まるで、「自由」という名の鎖に繋がれていたように感じます。
大拙先生の語る、本当の自由
動画の中で、鈴木大拙先生は、私たちが追い求めるような表面的な自由だけではなく、もっと深く、内面的な自由について語られていたように感じました。
『自由』という言葉はもともと仏教用語であり『自由自在』の自由である。
西洋から『freedom』や『liberty』という言葉に対する日本語に本来使っていた意味とは違うこの『自由』が当て嵌められてしまったと大拙先生は語ります。
『freedom』は個人や集団が制約や束縛から解放されている状態という概念の言葉
『liberty』は強制や拘束、支配などから解放され、自分の意思や行動よって行動を選択することができる状態という概念の言葉です。
つまり西洋的な自由は『〜からの自由』
一方で東洋的な『自由』特に禅における自由は自分自身であることを自ら(おのずから)選び生きるということ。
大拙先生はこのように例えておられます。
松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。
各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。松は松として、竹は竹として、山は山として、河は河として、その拘束のなきところを、自分が主人となって、働くのであるから、これが自由である。
鈴木大拙. はじめての大拙 鈴木大拙 自然のままに生きていく一〇八の言葉 (Function). Kindle Edition.
正直に言って、私は大拙先生がおっしゃる『自由』禅で言われる『自由』の概念が完全にわかったかと問われればわかったようなわかってないような気がしています。
ただ、私はずっと『自由』というものに憧れ、それを価値観の第一に置いて行動していました。
この東西の『自由』という言葉の概念を聞いた時に、私が求めてきた『自由』とは西洋的なものだったのではないかと思ったわけです。
ただし、それと同時に私であるという自由というそれも実現しているのかもしれない。うすーくだけど
とも思いました。
主体的に生きているつもりが、気づくとそれができていない。
そんな矛盾すら自分自身であることのように思えています。
鈴木大拙先生とは
ここで、私の心に深く響いた鈴木大拙先生について、少しご紹介させてください。
鈴木大拙(すずき だいせつ、1870年10月18日 – 1966年7月12日)は、日本の仏教学者、禅研究者、そして思想家です。特に、禅の思想を西洋に広く紹介したことで世界的に知られています。
石川県金沢市にご誕生された先生は、英語教師をしていたが、再び学問の道を志し東京帝国大学(現在の東京大学)に在籍。その時に鎌倉にある円覚寺にて釈宗演の元参禅した。
師である釈宗演に英語が堪能な人物として専任され、アメリカに渡り、東洋学に関連する書籍の編集や翻訳に約11年携わり、禅や仏教について書かれた自身の著書も英語で発表。
帰国後は、京都の大谷大学教授などを歴任されながら、精力的に著作活動や講演活動を展開。その著作は、禅の哲学、仏教の教え、そして日本の文化や精神性にまで及び、国内外の多くの人々に深い影響を与えました。
難解とされがちな東洋思想や禅の精神を、平易な言葉で解説し、西洋の思想や文化との対話を通して、その普遍的な価値を世界へと広めた功績は非常に大きいと言えます。
先生の言葉には、表面的な知識や理屈ではなく、深い自己探求と実践を通して得られた、生きた智慧が宿っているように感じます。だからこそ、時代を超えて、そして国境を超えて、多くの人々の心に響くのではないでしょうか。
私が今回、先生の言葉から特に「自由」という概念に強く惹かれたのも、先生が生涯を通して、固定観念や形式にとらわれない、真の自由を探求し続けたからなのかもしれません。先生の思想に触れることは、混迷の時代を生きる私たちにとって、心の羅針盤となるような、かけがえのない道しるべを与えてくれると信じています。
鈴木大拙先生の言葉を浴びる
大拙先生の生きた時代は明治初期から昭和にかけての激動の時代。
今も時代の変化が大きく世の中の価値観も大きく変化している、また多様化しているのを感じます。
大拙先生のことをもっと知りたいと本を手に取りましたが、難しい…笑
自分ひとりでは読める気が到底しないので、朗読しながら読むことにしました。
本を聴きながら読むと学習効率が非常に高くなる&早く読めるというともあるので。
さらにありがたいことにご著書が既にパブリックドメインでして。
私のYouTubeチャンネルの中で少しずつ公開していきますので、大拙先生の言葉を一緒に勉強しませんか?
和紙写真に宿る、内なる自由の表現
私が撮る写真は、その一瞬の光や風景を切り取ったものですが、和紙という素材を通して表現することで、単なる記録ではない、深みのあるアート作品として昇華させたいと考えています。
もしかしたら、これからの私の作品には、鈴木大拙先生の言葉から得た「自由」の感覚が、新たな表現として宿るかもしれません。外側の形にとらわれず、内なる心の動きや、その瞬間の本質を捉えた、より自由な表現を追求していきたいと思っています。
今、私はまだ、どん底から這い上がろうとしている最中かもしれません。でも、鈴木大拙先生の言葉や大好きな自然にそして自分自身の探究を続けながら私自身の「自由」を探し求めていきたいと思います。
この文章が、同じように苦しみや葛藤を抱えている誰かの心に、少しでも優しい灯りを灯すことができたら、とても嬉しく思います。
旅の情報も公開中の公式ライン、ぜひチェックしてみてくださいね!

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